今日は2021年8月16日。喫茶おおねこの夏休みも2週間目。肌寒い朝、目の前にある追熟しているふたつの桃の甘美なかおりににんまりとしながら書いています。
習慣というものが苦手だった。特に集団での習慣。毎日決まった場所に決まった時刻に行く学校をきつく感じていたことを分かったのは、登校が自由な大学に入ってからだった。習慣が苦手だった私だけれど、「週に一度、朝の四時間、店をあける」ということにしてから半年、決まった繰り返しのなかにもまた自由があるのだと分かるようになった。これはじぶんにとっては大きな変化だった。
喫茶おおねこの繰り返しの日々
日曜日。在庫の確認を行い、乾物屋さんなどで買い出しをする。今週の水曜日に喫茶おおねこをあけますよと各種SNSに投稿する。↓
月曜日。あんこを仕込むため、朝から小豆を炊き始める。瓶を煮沸消毒してから片手間で自家製ジンジャーエールもこしらえる。あんこを寝かせる段階までやってからバイトへ行き、帰ってきてくたくたのまま続きをやる。ふつふつと炊きあがるのは夜。粗熱をとって冷蔵庫で寝かせる。↓
火曜日。この日もバイトへ行って、ネルドリップ用のコーヒー粉を買う。さらに帰り際に水出しコーヒーを買って、ついでに天然水を二リットル買って、夜10時に水出しコーヒーを仕込む。この日はできるだけ早く寝る。
水曜日は、本番。朝は6時に起きて、あんこ・水出しコーヒー2l・ネル・ネルドリップ用のコーヒー粉、を自転車に詰め込んで出発。途中で食パンと炭酸水を買う。7時にお店に着く。開店まであと一時間。あくせくしながら店全体の拭き掃除と掃き掃除をして、手洗い場の窓と店のドアを全開にして空気をいれる。ふう、今週もよろしく頼むね。そのあとは持ってきた食材を冷蔵庫に入れたり、配置したり。できるだけ多くのグラスと皿を洗って、拭きあげてカウンターに並べていく。朝8時前、冬は朝陽がまぶしくて、夏はもう暑い陽射しに変わってる。最後は表の看板。チョークをもって一発書き。これで完了、と一息つきながら写真を撮ってSNSにあげる。来たい人が、無事に来れますように。こうやって水曜日ははじまって、朝8時から12時までのたったの4時間が、土壇場のなかで終わる。片付けと会計を済ませて、午後は、腹ペコのまま吉祥寺ランチを開拓する。こないだはもがめ食堂に行ってたらふく食べすぎてしまって、すごく幸せだった。そして朝に弱い私はたっぷりの昼寝をする。再度動き出すのは夕方。
木曜から土曜は、喫茶おおねこの活動はなるべくおやすみして、友達のいるカフェに顔を出したり、行きたかった本屋さんに行ったり、途中でまたバイトに行ったり、本をひたすら読んだり過ごす。
そしてまた来る、はじまりの日曜日。
おなじことをしているようで毎回あたらしいのだ
「あんこを炊くこと」ひとつとってもこの半年で二十回以上は炊いてきているけれど、どの一回も同じように炊けたことはもちろんなく、どの一回も毎回あたらしい気持ちで向かっていることに、途中でふと気づいた。自分は飽き性だとずっと思ってきているのだけど(そして実際そうなのだけど)、なんでかあんこを炊くことには飽きていない。それは毎度毎度、何を考えながら炊くのか、何を変えて炊くのか、誰を思い浮かべながら炊くのか、ちがうからだとも気づいた。
あんこを炊くことに対する心持ちも、回を重ねるごとに変遷してきた。おいしく炊ける自信のなかった初期には肩の力がガチガチに入っていて、それでいてものすごく時間がかかっていた。おいしいと言ってもらえることがわかると安心して堂々と、軽やかに炊けるようになっていた。最近ではあんこを炊く時間が喫茶おおねこの過去や現在や未来について思いめぐらすたのしい時間にもなっていて、このnoteを書こうと思い至ったのもあんこを炊いているときだったりする。
おなじ場所でうまれるあたらしい事々
毎週、おなじ時間に、だいたいおなじようにお店をあけてきたけれど、あたらしい出会いはどんどんと生まれていった。
こどもの日に、母がプロデュースに携わったケニアのお茶を喫茶おおねこで提供するというコラボ企画をしてみることになったり。それを機に、「吉祥寺時間」という地域紙に、母のお茶のことや喫茶おおねこのことを載せていただいたり。
お店に来られたさとうさんに、こんなにもすてきな動画をつくっていただけたり。↓
はじめましてのお客さんが、よく来てくれるお客さんになって、お話しするようになって、おすすめのお店とか、身の上話とか、政治のこととかを話すうちに、お客さん同士も知り合いになっていって、来たときは赤の他人だったのに、帰るときには話題を共有する人たちになっている。些細な変化かもしれないけれど、それを目の当たりにするたび泣けるようなうれしさがある。人間関係は、人生のゆたかさに直結していると思うから。
繰り返しのなかにも、あたらしいことが生まれていくんだ、と実感した瞬間が、繰り返しの日々にちりばめられていた。
繰り返すことも、いいもんだ。
決まって飽き性のじぶんはまた新しいことを始めたいとも思ってしまっているけれど、今ある場所をおなじように繰り返していくこともまた大切にして行けたら、と思っている。