夜ごはん、卵とじして、カツ丼にしよっか。
うんそうしよう。
そして夜ごはんはカツ丼になったのだけど、これがほんとうにおいしくって。カツは出来合いの豚カツと鶏カツを買ってきておいて、おだしと卵と三つ葉でとじて、半熟ぶるぶるにして、炊き立てごはんにのっけてできあがり。夢中でどんぶり一杯ぺろりといただきました。はぁー、ご馳走さまでした!
カツ丼を食べたときにぶわあっと思い出されたのが「小さいころよく食べたカツ丼弁当」。
近所のスーパーの総菜売り場に、四角い、ちょっと底上げされてる、普通サイズと小さいサイズで展開される、揚げもの売り場の横に置いてあるカツ丼弁当があった。
これが、絶品でね。
おなかがすいてどうしようもないのに家の冷蔵庫を見渡してもなんだかなあというときは、家の貯金箱から勝手に小銭をとってそれ握りしめてスーパーへ駈け込んでカツ丼弁当を買っきて、家のレンジであっためて食べたっけ。容器まるごとあっためるもんだから添えられている薄っぺらくてやたら黄色いたくあんはくたくたになったり容器がべこんとへこんでしまったり不格好なカツ丼弁当。そんなのおかまいなしにじゅくじゅくになってるカツ丼の衣と白米のあいだを箸でえいやっと掬っては食べ掬っては食べ、あっという間に完食。うんまあーーーーー。これがクセになって高校生手前くらいまで、たぶん一番食べた市販弁当はきっとあのカツ丼弁当だ。
そのカツ丼弁当より(たぶん)格段においしい手作りカツ丼を食べているときの、懐かしいやら寂しいやらの気持ちってなんなんだろう。まだあのカツ丼弁当はあるのかしら。私みたいな子どもに今も好かれているかしら。薄っぺらくてやたら黄色いたくあんは健全かしら。
私のおいしいものの記憶は、こういうどうしようもないところに転がっていたりする。両親が留守の時にいそいそと実行した、(当時の)自分のなかで一番のゼイタクであった、「白米にマヨネーズとたまごと醤油のせたごはん」。畑になりたてのトマトをこっそり採って口に入れた時のおもいがけずむっと鼻にぬける土の味。中高時代の毎日のお弁当で、白米のドカベンかと思いきや白米の中間にごはんですよが層になって仕込まれていたときの、興奮。おいしいなこれとぱくぱく食べたあとに正体を知る、イナゴの佃煮。市民プールのあと塩素のにおいにまみれてミニストップの飲食コーナーで食べるクランキーチキンとアイスボックス。旅したベトナムにて、人ひとりぶんくらいの幅の屋台でその場で焼き上げてくれた、パリパリのパンにパクチーのはみ出たバインミー。縄跳びにしたあとのひもQ。道端に咲いている花をシュッと吸っての蜜の味。
いまの私の「おいしい!」をつくりあげてきてくれた、私なりのおしいものの記憶。けっしてお上品なものばかりではないけれど、そこがまたいいんだよなあ。いろんなものを食べてきました。きっと忘れていくものも多いんだろうけど「おいしい!」と感じるたびに、おいしいものの記憶もそのつど掘りおこして、そっと抱きしめていけますように。
さてさて今日は木曜日。喫茶おおねこはまた来週の水曜日です。
深呼吸していきましょう。
Have a good day!
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