「店は、開けておいてこそ店なんだ。いつも開けておくからお客さんが来る。開いてないと店じゃないんだよ」
これは私の敬愛するマスターの言葉。喫茶おおねこを営むうえで師匠のようなひとである。
ものすごいカフェに出会ってしまった
マスターの営むカフェは、初めて行った時からおどろきの連続だった。
まず一人で行ったのに緊張感がまったくなかった。なんだこのゆるやかな雰囲気は。席数は多く、まんべんなく埋まっている。そしてそれぞれがこの場所に安心しきって、ふぅ〜とくつろいでいるのだ。そしてメニューを開いておどろいた。多すぎるのだ。コーヒーはブレンド三種類にストレートも一通りそろって、紅茶もフルーツティもパスタもピザも…特別ランチまで…うおお、豊富。さらにはショーケースにはケーキが並ぶ!一回来ただけでは到底味わい尽くせないナ…と思ってそれから気づけば何度も足を運んでいた。飲むたび、食べるたび、またおどろいた。おいしすぎる。すべてがおいしすぎた。何度も食べたくなる、手間暇と工夫凝らされた手作りの味だった。人一人が入れる厨房にマスターがすっぽり収まって次々と入るオーダーを手際よく作るのをコソコソ見ては魔法のようだ!と心がキラキラ沸き立った。ある日、「あの、ここで働かせてください」と言っていた。あっという間の流れだった。
閉めると怒られる店
はたらき始めてから、丸一年ほどが経っている。
「供される側」から「供する側」に立ったときに見えてくるものの多さに、またおどろき続けている。
まず、マスターは休まない。開店準備に朝九時ごろには店に来ていて、そこから閉店二十時まで(緊急事態宣言前は二十三時まで!)蒸し暑い厨房で立ちっぱなし動きっぱなし。定休日はなんと設けていない。営業中にお客さんが落ち着いたら三十分ほど昼食休憩を取るけれど、昼食休憩中もオーダーが入ったら控室から出て料理を作ったりと満足に休んでいるのはあまり見たことがない。正月の三が日は休むけれど、休むといってもほんとうはお店に来て大掃除や仕込みをしているから、休んではいない。ひい、なんてこった。それでいてい変わらずハツラツとしている。店の中でダントツたのしそうなのがマスター。それにつられて店の雰囲気も明るい。超人なのだと思う。
さらに、マスターはどんどん新しいことをする。店内のあちこちにある猫の小さなフィギュアは日々場所をちょこちょこ変えていて微笑んでしまうし、この前めずらしく臨時休業をした時に間違えて店に行ったら、ゴーグルをかけて店内のテーブルにヤスリをかけていた。業者の人かと思った。店内のテーブルのなかで大きさを変えたいものもあって計画中だったりもするらしい。二十年以上続けている店で、変わらずハツラツとしながら、常に新しいことを模索するって、ああこの人はほんとうにお店のことを愛しているんだと思った。こういう言葉にするとチンプだけど、とにかくバイタリティがすごいんだ。
さらにさらに、懐の深さたるや驚きものである。閉店間際に店内で居眠りをしている常連さんがいて、困っちゃうよねぇと思ってマスターに伝えたら「まあそのまま寝かせてあげてよ」と笑って、それだけ。閉店だからナァ閉め作業に支障が出るからナァってあくせくした自分の小ささを恥じた。でっかい人なのだ。子どもがアイスクリームを注文した時には大盛にしたうえにサービスで果物を乗っけてあげたり、そこ、キッチンから気づく?と思うような店内の些細なモノの移動を直しに調理の合間をぬってホールに出たりと、ぬかりなく細やかなちょっとした気遣いがいたるところにある。
そういうわけで、一日臨時休業するよ〜ってだけで常連さんが「ええそれは困るよ〜」と可愛く怒ったりする。閉めると怒られる店。こんな店を私は見たことがない。
ちなみに働いている人たちの在籍歴も長い。働き始めの時はマニュアルが一切ない(!)ので見様見真似でやってみるしかなくてあたふたし続けていたけれど、「学ぶ」が「真似ぶ」であるというのも納得で、よく見てやってみて失敗しながらも臨機応変に気持ちのいい接客をするのがいちばん大事なことなんだと知った。小雨が降っていたら店内の忘れ物傘を貸してあげればよいし、お子さん連れには多めにおてふきを渡すといいし、暑そうにしていたら少しでも涼しい席を案内すればよい。マニュアルがないおかげでそこにいるお客さんの目を見て向き合えるしそこに生きた会話があって好きだ。思いやりが連鎖するから働いていても気持ちがいい。しかもまかないがとびっきりおいしいときたら、そりゃここに居たいと思うだろう。実際わたしも大学を卒業したら辞めると思っていたけれど、好きすぎて続けている。
店(マスター)は店にかかわるひとを愛してるし、店にかかわるひとも店(マスター)に愛されていることを疑わない、そういう店なのだ。
たくさんのひとの人生をそっと支えているひと
そんなマスターが先日言った、「店は、開けておいてこそ店なんだ。いつも開けておくからお客さんが来る。開いてないと店じゃないんだよ」という言葉には、疑いようのなさに満ちていた。そうですよね。いつ行っても迎え入れてくれるという安心感は何にも代え難いものだから。いつでもそこにおいしいコーヒーとごはんがあるならば。迎えてくれるマスターがいるならば。そりゃあ、毎日通ってしまう。自然と生活の一部になるんだろう。
今日もこのカフェがあるということに安心しきった人々が集まりおもいおもいの時間を過ごしているんだろう。たくさんの人生の支えになっているひとの生き様をマスターから真似び、学んでいる。
私は週に一度でもお店を開こう、どんなかたちでも、開き続けよう、と思うのでした。