二十歳を過ぎたころから涙もろくなってきている気がする。
幼いときは少なくとも泣くもんかと踏ん張る子どもだった。初めて感動で泣きそうになったのは「のび太の恐竜2006」を観たときで、九歳だった。込み上げる気持ちから泣きたくてたまらなかったけれど羞恥心を身に着けたマセた子どもだった私、下唇をキッと噛んで目をしぱしぱさせて他のことを考えたりして泣きを回避。それからというもの泣くのを我慢するたびに癖がついたのか、ついに愛猫が死んでも、なかなか泣かず。とにかく「泣くこと」を極力避けたい子どもだった。
どっこい今は泣き虫になり果ててしまった。羞恥心をどこかに置いてきてしまったかのようにすぐ泣く。うれしくて泣く。悲しくて泣く。やりきれず泣く。この前は西荻窪の中華料理屋で冷やし中華をすすりながら恋人につらつら話しながらぽろぽろ泣いていた。冷やし中華も、ついでに餃子も、完食した、泣きながら。いやー、とんだ大人になってしまった。
こっからが本題。先日、故人を偲んで涙が止まらなくなった。月曜日の午後。部屋にひとり。涙は突然だった、私は小林カツ代さんの生い立ちなどが描かれた本(中原一歩さん著『小林カツ代伝 私が死んでもレシピは残る』)を読み終えて、小林カツ代さんの出ていた『料理の鉄人』(家庭料理のプロである小林カツ代さんがプロの料理に勝つ。素晴らしい試合だった!)をYouTubeで観たあとだった。
とたん涙が止まらなくなった。
会いたかったなあ、と心底思った。
私がカツ代さんを知ったのは、小林カツ代さんが亡くなった年からずっと後だ。本を読んだだけのときは大丈夫だったのに、料理の鉄人であまりにたのしそうに料理する生前のご本人を見て、なんというんだろう、「ああ、生きてほしいひとだったな」と思った。
私の人生で出会った人の中には、「特に、生きてほしいひと」というのが、どうしてもいる。どこにいてもどうか生きていてね、あなたの存在が世界をほんのすこしでも確実に輝かせてくれているから、あなたのいる世界なら好きと思えるから、と思うような、光のような人。そういう人に寿命なんてなければいいのになんて、勝手なことを本気で思っている。すべての猫がそれにあたる。猫に寿命なんてなくっていい。ああ、本当に勝手だよね。
小林カツ代さんは、私にとって「特に、生きてほしいひと」だったんだと思う。でも知ったときには亡くなっていた。なんって寂しい世界なんだろう!と、部屋の外の世界がすこししんとしているように思えてしまって、そうしたら悲しくて悔やまれて寂しくてしかたなくて、ほろほろ泣き出してしまった。ソファに沈み込んでほろほろ泣いて、ティッシュを引っ張り出して鼻をかんだ。ティッシュの山がすぐできる。猫二匹は変わらずそばに寝転んで見向きもしない。犬だったら心配してくれるだろうに君たちってやつは・・・なんて思う。猫でよかった。
ひとしきり泣いたら、おなかが空いた。思い浮かぶのはひとつ、小林カツ代さんの代表的なレシピ、肉じゃが。お財布もって、マスクをして(マスクがあってよかった)、鼻をすすりながら、外へゆらりと繰り出した。
買ってきたのは、牛肉、ジャガイモ、玉ねぎ。
帰ってきてすぐに台所へ立つ。やるよー。レシピの通りに作っていった。
出来上がって鍋のふたを開けたら、そこにはしあわせのかおりがじゅわ~ん。
菜箸でひとくち味見して、「これこれこれこれ!!!」と、小林カツ代さんのレシピの肉じゃがを食べたのは初めてなのに、しっくりきちゃった。
これなんだよなあ、おうちで食べる、おいしいって。こっくり味のついた肉と、ほくほくのジャガイモがぴったり。
ひとくち食べて、ふたくち食べて、みくちもよくちも食べて、結局小皿ひとつぶんぺろりと食べてしまった。粗熱をとって冷蔵庫にいったんしまって。のこりは夜ご飯にしようっと。
台所を後片付けしてひとだんらくして、さっきまでほろほろ泣いていたソファにふたたび沈み込む。さっきと気持ちがだいぶん違っている。今にも踊りだしそうなくらい、気持ちが軽い。自分の胃袋と心持ちの単純さに笑いそうになりながら、誰かを偲びながらつくるごはんは、心までもまるっと掬い上げてしまうのだなあと思った。
夏がおわる。夏のごはんで作れていないものはどんどん作ろう。
秋がはじまる。美味しいもの尽くしの季節、とことんたのしんでやろうじゃないの。
さっそく『小林カツ代料理の辞典―おいしい家庭料理のつくり方2448レシピ』を、大好きなエトセトラブックスさんにお取り寄せをお願いした。届くのがたのしみだ。私はきっと、これからも作り続ける。
読んでくださってありがとうございます!東京は着実に冬に向かっています。
どうか身体をあっためて、ほぐして、お過ごしください。
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