かっこいいかどうか?

かっこいいかどうか?

#ちいさなしごと

2021/11/18

「かっこいいかどうかって大事だと思うんですよねー」
脳天にその言葉がぶっささって抜けない。これはオンラインミーティング中の恋人の口から出た言葉で、たまたま、同じ部屋にいるわたしの耳に届いた。
かっこいいかどうか。
意識して聞いていたわけじゃないから脈絡や意図は不明だけど、おそらくしごとのやり方とかあり方について話していた中での言葉だったと思う。かっこいいかどうかとは、つまるところそれが粋であるかどうか、とか、そういったところだと思う。(そういえばかっこいいって何?)
ただただ唐突に耳に届いてしまった言葉であるのに、「えっ・・・わたしのしごとって、かっこいいかしら?」「わたしの生き方って、かっこいいかしら?」「かっこよく、生きたいものだなあ」と、大事な問いである気がしてここ数日、持ち歩いている。
私は、かっこいい生き方をしているひとは、かっこいいしごとをしていると思っていて、とてもあこがれるし好きだ。そういうひとがしあわせであれる世の中であってほしいと切に願う。(ずるい人ほど甘い蜜を吸っていたりして、そううまくはいかないのが現実でしょっぱいけれど。)身近で言えばかっこいい生き方をしていたりかっこいいしごとをしていたりするひととは、年に3日くらいしか休まずとにかく自分の店とお客さんを心の底から愛していていろんなものをやりくりしながら身体を張って26年も店を守り続けている私がはたらいているカフェのマスターであろうし(過去記事にも何度か出てきている)、こんな暴君なわたしを見放さず20数年もとんでもなくでっかい器で見守り愛して育ててくれている母親は相当にかっこいい生き方をしているひとである。自分なりの大義をもちながら限りある生をつかうことを惜しまないひとと出会うたび、心の奥底がきゅっとふるえて、どうかこのひとがしあわせでありつづけますように、どうかどうか、きっと本人が一番望むかたちで報われますように、たくさんのひとの希望なのだろうから健やかでありますように、と、あまりに眩しいような、祈るしかないような、そんな気持ちになって仕方なくなる。
かっこわるい生き方、かっこわるいしごと、ってなんだ?と考えるとそれは具体的にいろいろと想像がつく。きっと、自分の選択を他人のせいにしたり、自分のこだわりより周りからの評価に軸足を置いたり、仲間をだいじにしなかったり、ずるをしたり、してもらったことを忘れたり、今の自分を見ないふりをしたり、大きく見せようとしたり、、、。ああ耳が痛い。心もいたい。わたしにも思い当たる節があるからだなあ。
わたしがかっこいいと思う生き方をしているひとやかっこいいと思うしごとをしているひとは、みな一様に謙虚すぎるほど謙虚であるように思う。そんでもって、謙虚でありながらも自分を卑下はしていないのが、とっても、いい。うん、すごくいい。ずっとそうでいて。
かっこいい生き方をしているひと、かっこいいしごとをしているひとから学ぶ、かっこいい在り方。
きっと、どんなに自分がちいさく思えても、みじめに思えても、けっしていじけたり、さらに自分を卑下したりしようとしてはならないんだろうな。じぶんのありのままをできるだけ見つめて、それを内心はしっかりと誇りに思いながら、謙虚にあって、しゅくしゅくとじぶんのやるべきこと、やりたいこと、こだわり、周囲の仲間、そしてじぶん自身をだいじにしていくことなのだろうな。
だれになんと言われようと、何もかもがうまくいかなかろうと、ひもじくて情けなくて仕方なくなろうと、自分を捨てずにこだわっていきたいな。かっこよくありたいな。かっこよく生きたいな。かっこいいしごとがしたいなあ。
かっこいいかどうか?を、お守りのようにして問うていこうとおもう。

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